2009年08月14日

中世の大学

TaDさんの執筆で、「中世の数学」の中で中世の大学・学部の話があり、大変興味深かったので少し書いてみます。

> 12 世紀の末,ヨーロッパの都市に大学が誕生した.~
大学は学芸学部,法学部,医学部,神学部の全てまたは一部からなり,教師と学生はやがて各学部単位に独立した集団を構成した.

>今風にいえば教養学部にあたる学芸学部では6 年をかけて基礎学問を学ぶが, カリキュラムは古代の三科(論理学,文法,修辞学)と四科(算術,幾何,音楽,天文)で構成された.その中でも論理学が哲学的・科学的な探求の絶対的方法と考えられ,アリストテレスの論理学書がその基本テキストとされた.後には彼の他の著作も加えられた.
http://www.h6.dion.ne.jp/~hsbook_a/biseki/biseki_1.2.pdf(p.29)より引用



いわゆる教養課程にあたる学芸学部(哲学部)には自由七科(ローマ末以降、自由民に必要とされた一般教養課目)があり、下級3学に文法・修辞・弁証法(論理学)が、上級4学には算術・幾何・天文・音楽があります。
これらを終了すると、神学・法学・医学の専門へと進みます。
中世西欧は、キリスト教の時代で、中世の学問も教会の権威を守る神学を最高の学問とし、他の学問は「①」という諺が示すように神学の補助的学問とみなされたのですね。(このキリスト教絶対時代において民衆は裏で何をしていたかはこちら・・・?)
②語訳聖書を用いたため、聖職者は②語を読み書きできる知識人であり、同時に他の学問を研究し、そのため②語は中世の普遍的学術語となりました。(ちなみにミサ曲は②語が多いですね)

中世の学部の話で
学問は、哲学がベースにあること
今でいう文学部や理学部は哲学部(ものを考える)から派生していること
今でいう工学部(ものをつくる)は 忘れた、確か途中で出来た 
経済学部は  忘れた(おい)
あとはええっと・・・
(思い出したら記載します、なんじゃそれ)

このような話?を聞くことがあってそれ以来、私にとって関心が高いのです。

TaDさんには、執筆で参考文献である『カッツ数学の歴史』(ヴィクターJ. カッツ著,上野健爾・三浦伸夫監訳,共立出版)の p.357 囲み8.3 中世の大学 をPDFファイルに作り直して見せていただきました。
中でも自由七科にちなんだ切手が載っていて興味深かったです。

参考文献 安ちゃんの世界史プリント、世界史用語集(山川出版社)

さて、①、②に入る言葉は何でしょう。
      
追伸 ドビュッシーの本を読み始めたが、こっちのほうに関心が強く、時代が逆行しております。(笑)


posted by さちこ at 22:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 数学 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おはようございます。

①は「哲学は神学の婢」ですか?
②は、「ラテン」ですかね。

科学(サイエンス)というのもラテン語の「知識」から来ているそうですね。ルネッサンス運動の原点は、アッシジのフランチェスコの活動にあると、塩野七生氏は看破されておりますね。

日本の大学でも以前は教養学部でみっちり勉強し、専門分野に入るというスタイルがあったと思うのですが、今はそういう感じではないですね。

こういうそもそも的な話、小生も好きですよ。
Posted by DBH at 2009年08月15日 07:28
DBHさん、こんばんは。
①②ともに正解です。
簡単でしたね。(笑)
あ、正解出てますけれど、皆さん考えてくださいね。

>科学(サイエンス)というのもラテン語の「知識」から来ているそうですね
そうでしたか、それは知りませんでした。
中世の次は、ルネッサンスですね。

>日本の大学でも以前は教養学部でみっちり勉強し、専門分野に入るというスタイルがあったと思うのですが、今はそういう感じではないですね。
そうですね。
といいますか、本を読んでないというか。
まあ究極、授業なんてどうでもいいから、どれだけ自分で本を読むかってことでしょう。(偉そうなこと書いてますが・・・)
そもそも的な話、ですか。
Posted by さちこ at 2009年08月15日 21:05
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