昨日、H大学のT先生が書斎に来られました。
H大学とは、父が定年を迎えた大学です。
山盛!の書籍について
大学としては、いだだけるものは有難くすべていただく。
とのお返事いただきほっとしました。
ただし、輸送?などの予算はおりず、いろいろ思案した結果、
①家族が、段ボールにつめる
②段ボールの数を先生に知らせる
③車を手配してとりにきてくれる
という算段にあいなりました。
はああああ。
ちょっと精神的に楽になった。
大学としては、文庫本など一般書は不要だけれど、まあとりあえずもらっといてあとは大学でどうするか決めてくれるとのこと。
目録とかやってくれるんでしょ。ご苦労様です。
不要なものは処分してくれるそう。
学生にあげてもいいし。
お近くの方、今のうちに好きなものを持って行ってください。という感じなんですけど・・・。
さて、段ボールの手配から。
とりあえず50箱買いました。
さて、どうなることやら。
T先生は、本当に親身になっていただき有難いことです。
そして、父の退官講義の録画(DVD)をいただきました。
初めに、退官講義なるものを「ブルブルと耐寒して、それにコーギ(抗議)する」とか冗談をいいながら、身の上話も出てきたりしながら進みました。
実は、内容に関心あったんです。
中世の大学の学部の話が出てくるのは知っていましたが。
ヤスパースの「大学の理念」がメインだったのね。
大学は、人間の生活の必要から生まれたものだから、全てに統合的にかかわる。人間学につながっていなければいけない。
神学部 魂の救済
法学部 社会生活
医学部 人間の身体
哲学部(学芸学部) リベラルアーツ 精神生活の領域で諸学を統合する。(文学部・理学部・経済学部は哲学部より派生)
ここで、書きたかったのはこのことでした。
工学部は、中世には必要がなかった。
200年前の産業革命という歴史上の断裂と同時に環境問題が出てきた。
近代人は、分化され専門領域に対応している。
しかし、人間・生活者のために学はあり、学問の縦割りはおかしい。
総合的に人間的にとらえないといけない。
知とは、対象を切り刻んではいけない。
研究者と学者の違い。
・・・・・
なんか炸裂してるね。
今までの人生の中で、自然(福島県 父の故郷)に囲まれて過ごした幼年期が一番良かった、黄金期だそーです。
実は、これらのことは父の著書「環境先進的社会とは何か」世界思想社 2002年 に出ています。
T先生が「この著書を学生にあげてたら自分の分がなくなった、ありますか?」と聞かれましたが、無いんですよ。
他の本はそれなりにあるんです(ハントケさん、なんて情けなくて泣きそうなほどある)けど、この本はなぜか一冊しかなかった。
インターネットで見ても、品切れになってる。
なんでかな~。
ということで終わります。
T先生ありがとうございました。
長々と失礼しました。
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