2013年11月03日

数学は美しいか

算額.jpg


10月の中旬過ぎであったか、ブログの過去記事からトラックバック先やらそのリンク先と見ていたら(トップページAandBの神秘的で美しい→TaDさんのトラックバック記事→数学の美しさの検索記事)新潮社の季刊誌「考える人」の2013年夏号 数学は美しいか が目に留まりました。
最近、書店も行かず、活字離れもいいところ、すっかりバックナンバーです。
早速、書店で注文、ワクワクしながら待ち、10日ほどのち手元に届きました。


数ある投稿の中で、雑誌を開いて先ず、この写真に釘付けになった。
写真は、p26-p27に掲載されていたもので、
右上 岐阜県養老町 田代神社より(1841)
右下 京都市 八坂神社より(復元1691)
左上 岐阜県大垣市 明星輪寺より(1865)
左下京都府長岡京市 長岡天満宮(復元 1790)

日本には江戸時代から「和算」と呼ばれる独特の数学の世界が広がっていた。
問答を神社仏閣に、絵馬のように掲げる風習があった。それが「算額」である。
算額について高校で数学の教師をしていた深川英俊氏が紹介している。
年齢、性別、身分を超えた江戸のひとたちの愉しそうな、生き生きとした姿が見えるようで興味深い。

また、東大名誉教授(科学史家、比較文明学者)の伊東俊太郎氏へのインタビュー「人は数学に何を求めてきたか」。

数学とは、何か
「mathematics」を語源的にみると「学ばれるべきもの」である。
ピタゴラス学派が学ばれるべきものとしたのは4つあって数論(算術)、幾何学、天文学、和声学(音楽)
・・・・

と自由七科(リベラルアーツ)の話へ移ってゆく。
自由七科を修めて、専門科目をやりたい人はそちらにいく、ということ。
つまり、学術には、文系も理系の別もないということです。
ところが、日本の大学の制度は発足した時から専門化の傾向を持っていた。
戦後反省があるが、スペシャリゼーションの要求が強くて、教養なんかふっ飛ばされかけてないだろうか。ちょっと待ってくれ、専門化して偏った見方しか出来ない人の集まりでは、本当に困ったものだよ、と結ぶ。

そういえば、父の退官講義の中で触れていたことと重なっている。
(自由七科や中世の大学の話はここここにあります。)

他にも、興味深いことが散見され、読みごたえあるエッセーも多く楽しめる一冊です。
お薦めの・・・というには、遅いので何も言わずに終わりにしておきます。

追記 2022.11.20
久しぶりに「考える人」の2013年夏号 を開くと、伊東俊太郎氏へのインタビュー「人は数学に何を求めてきたか」のなかで
絵画の美しさは感性
小節の美しさは人間性
数学の美しさは理性

とあり、興味深いのでここに記すこととした。
美しいと楽しい、数学は人間の考え(理性)の美しさ
posted by さちこ at 13:44| Comment(2) | TrackBack(0) | 数学 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ガメラ@Mixiです。
この雑誌は私も楽しく読みました。
学問に文系も理系もないのと同じように、学問と芸術の間の垣根も実はかなり低いもので、実は両者の間にはいろいろ行き来があるのだと思います。
そういった行き来は、理学部数学科を卒業してユング心理学を修めた河合隼雄先生がよくやっていたことは、さちこさんも重々ご承知のことと思います。
さきほどブログの記事をふらふらと読ませてもらいましたが、京都旅行の写真が綺麗でしたね。私は最近カメラに興味が出てきたので、どうしても写真に目が行ってしまうのですが、構図も露出も色合いもいいですね。写真撮影はお好きなのですか?
それでは。
Posted by ガメラ at 2014年04月20日 20:12
ガメラさん、こんばんは。

ご訪問ならびにコメントありがとうございます!
(勇気を出してメッセージ送って良かったです)

この雑誌をガメラさんも読まれましたか。なんだか嬉しいですね。

>構図も露出も色合いもいいですね
ありがとうございます。


写真は、ひたすらパシャパシャしているだけで何の技もありませんが、花を撮り続けてかれこれ10年以上になります。初期の写真は、自己嫌悪に陥るものばかりですよ。

記事中のリンク先のアドレス 何とか思い出して訂正しました。
Posted by さちこ at 2014年04月20日 21:25
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