2016年05月09日

吾輩の観察力

漱石の「吾輩は猫である」の新聞再連載が始まり毎朝楽しんでいます。
本作品は、中学一年の時に読んだので再読ということになりますが、まあ・・・・あんなのは読んだうちに入らんでしょ。
なんて鋭い観察だろうか。
いやあ、面白い。

ゆっくり楽しみましょう。

しかし、トチメンボーとは、あんまりだわぁ。
それじゃあボイがかわいそう。迷亭めぇ。

ということで以後、印象的な記載などをコメントに残すことにしましょ。
皆さんも何かあれば使ってくだすって結構よ。あらなんだか、天璋院様のご祐筆の妹のお嫁のなんちゃらかんちゃら・・三毛子さんの口調に似ているわね。
posted by さちこ at 09:18| Comment(15) | TrackBack(0) | 文学 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
そのトチメンボーの次は、孔雀の舌ときたよ。
暮れの首懸の松とか女の声が聞こえて川にどぼんとか・・こんなの可笑しくも悲しくもねぇ。

うちの牡蠣的主人は毎朝顔を洗うたびにガチョウがしめ殺されるような声を出すけれど、だからって三毛子の病を吾輩のせいにするなんてとんだ冤罪ですわ。

あ・・・お正月に雑煮のお餅にトライして踊ったことは内緒ね。



Posted by さちこ at 2016年05月20日 23:32


チーン南無猫誉信女(なむみょうよしんにょ)、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

Posted by さちこ at 2016年05月26日 20:47
「羅馬の七代目樽金」について調べてみた。
あの九巻の書籍のことはどこかで聞いたことあるような・・?
シビュラの託宣というらしい。

ローマの最後の王 タルクイニウス・スペルブスのことらしい。傲慢な王。紀元前500年代のこと。

高校の世界史の教科書を紐解いてみた。
ローマは、近隣の異民族エトルリア人が王となっていた。(王政)
この王政の最後の王ということですね。
その後、エトルリア人を追い出して共和政(貴族が実権)となり、元首政(プリンキパートゥス)、専制君主制(ドミナートゥス)と移ってゆく。

頭、からっぽだわ。

間違っていたらご指摘お願いします。

しかし改めて観察力といい教養といい・・・・。
この客観性が凄い。

Posted by さちこ at 2016年06月03日 21:42
吾輩金田邸へ忍び込むことへの意気込み。

吾輩は猫だけれど、エピクテタスを読んで机の上へ叩きつける位な学者の家に寄寓する猫で、世間一般の痴猫、愚猫とは少しく撰を殊にしている。この冒険を敢てする位の義侠心は固より尻尾の先に畳み込んである。何も寒月君に恩になったという訳もないが、これはただに個人のためにする血気躁狂の沙汰ではない。大きくいえば公平を好み中庸を愛する天意を現実にする天晴な美挙だ。人の許諾を経ずして吾妻橋事件などを至る処に振り廻わす以上は、人の軒下に犬を忍ばして、その報道を得々として逢う人に吹聴する以上は、車夫、馬丁、無頼漢、ごろつき書生、日雇婆、産婆、妖婆、按摩、頓馬に至るまでを使用して国家有用の材に煩を及ぼして顧みざる以上は-猫にも覚悟がある。
Posted by さちこ at 2016年06月26日 07:24
髭を生やして怪しからなければ猫などは一疋だって怪しかりようがない。
Posted by さちこ at 2016年06月28日 21:30
下女が鈴木君に差し出された座布団にわざとのって、いかに心の平均を破るかを観察する吾輩。


猫と座席争いをしたとあっては聊か人間の威厳に関する。・・・多少の不便は忍ばねばならぬ。忍ばねばならぬだけそれだけ猫に対する憎悪の念は増す。

吾輩は鈴木君の不平な顔を拝見するのが面白いから滑稽の念を抑えてなるべく何喰わぬ顔をしている。


Posted by さちこ at 2016年07月17日 12:26
泥棒に入られても何もしない?し。
やっとネズミをとることにした吾輩。
バルチック艦隊云々と講釈山盛。
それで・・・?

まあいいか。

Posted by さちこ at 2016年08月23日 22:26
人間社会の観察

櫛とか称する無意味な鋸(のこぎり)様の道具を用いて頭の毛を左右に等分して嬉しがっているのもある。等分にしないと七分三分の割合で頭蓋骨の上へ人為的の区劃(くかく)を立てる。

足が四本あるのに二本しか使わないというから贅沢だ。・・・いつでも二本で済して、残る二本は到来の棒鱈(ぼうだら)の様に手持無沙汰にぶら下げているのは馬鹿々々しい。

・・・気楽になりたければ吾輩の様に夏でも毛衣を着て通されるだけの修業をするがよろしい。
Posted by さちこ at 2016年08月28日 08:51
吾輩の運動

海水浴はとりあえずまだ。

①蟷螂(とうろう)狩り かまきりのこと。
②蝉取り
③松滑り
④垣巡り

もちろん、例の如くいちいち講釈がある。
Posted by さちこ at 2016年10月02日 19:47
吾輩の洗湯(銭湯)・化物の観察

この硝子窓の中にうじゃうじゃがあがあ騒いでいる人間は悉く(ことごとく)裸体である。

湯槽(ゆぶね)は、薬湯(一週間に一度のみ水をかえる)と一般の湯。

板間には、絵にもならないアダムがずらり並んで、おのおの勝手次第な姿勢で、勝手次第な所を洗っている。


「何だ馬鹿野郎、人の桶へ汚ない水をぴちゃぴちゃ跳ねかえす奴があるか」と渇し去った、我主人 苦沙弥。


帰ってみると天下は太平なもので。主人は湯上りの顔をテラテラ光らして晩餐を食っている。
しかも、吾輩をみて、のんきな猫だなぁ、今頃どこをあるいているんだろう、と云った。

なんでやねん!?
Posted by さちこ at 2016年10月19日 10:34
忘れていました。


詩人に逆上が必要なる事は汽船に石炭が欠く可からざる様な者で、この供給が一日でも途切れると彼等は手を拱いて飯を食うより外に何等の能もない凡人になってしまう。尤も逆上は気違いの異名で、・・・世間体が悪いから、彼等の仲間では逆上を呼ぶに逆上の名を以ってしない。申し合わせてインスピレーション、インスピレーションとさも勿体そうに称えている。

Posted by さちこ at 2016年11月24日 22:47
吾輩の文に対して

決して、寐ころんだり、足を出して五行ごと一度に読むのだなどと云う無礼を演じてはいけない。・・・・是非仕舞まで精通しなくてはいかん。


そういえば、ありましたな。
「書物はしまいまで読む。」某書籍
Posted by さちこ at 2016年11月24日 22:56
落雲館の君子とのやりすごしかたの提案

鈴木さん→金と衆とに従え

甘木先生→催眠術で神経を沈めろ

(山羊のような髭を生やしている)哲学者→消極的の修養で安心を得ろ
Posted by さちこ at 2016年11月24日 23:10
銀行家などは毎日人の金をあつかいつけているうちに人の金が、自分の金の様に見えてくるそうだ。役人は人民の召使である。用事を弁じさせる為めに、ある権限を委託した代理人のようなものだ。ところが・・・
・・略・・主人に泥棒根性があると断定する訳には行かぬ。もし主人に泥棒根性があるとすれば、天下の人にはみんな泥棒根性がある。
Posted by さちこ at 2017年01月08日 09:40
連載終了しました。

振り返るに、この吾輩の観察力たるや、否、吾輩を借りて漱石の観察力たるや、その表現たるや感嘆に値するものであります。

時代が古いこともあって?、全てに同意は出来ませぬが、大変楽しい時間を過ごしました。

ビールに酔って、甕に落ちてしまった吾輩。
南無阿弥陀仏。
Posted by さちこ at 2017年03月28日 22:01
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