2024年01月21日
「夜と霧」読了
「夜と霧」ヴィクトール・E・フランクル著 新版 池田香代子訳 みすず書房 2002年11月第1刷 2023年3月 第43刷 読了。
書店で、三浦綾子の「塩狩峠」と一緒に手に入れたのはこの「夜と霧」でした。
この作品は「夜と霧」というタイトルで霜山徳爾の訳(原著1947年刊の旧版にもとづく1956年初刊)により半世紀近く読み継がれて来た。
それを1977年刊の新版にもとづき池田香代子が訳出したもの。
「心理学者、強制収容所を体験する」の副題にあるとおり、内側から強制収容所を見て、心理学者として、被収容者(過酷な環境におかれた者)がどのような心理状態になっていくか、また開放された後はどのようか、客観的に記載されている。
以下に印象深い言葉を記す。
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最期の瞬間までだれも奪うことができない人間の精神的自由は、彼が最期の息をひきとるまで、その生を意味深いものにした。なぜなら、仕事に真価を発揮できる行動的な生や、美や芸術や自然をたっぷり味わう機会に恵まれた生だけ意味があるのではないからだ。そうではなく、強制収容所での生のような、仕事に真価を発揮する機会も、体験に値すべきことを体験も皆無の生にも、意味があるのだ。(P112)
わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。哲学用語を使えば、コペルニクス的転回が必要なのであり、もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。(P130 )
だが、涙を恥じることはない。この涙は、苦しむ勇気をもっていることの証だからだ。(P132)
・・・
ふと思う。
被収容者の心理があれば、収容者の心理もある。
ひとはなぜ、他者を追いつめ、迫害するのであろう。
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